オリオンの下で 第三章「契約」
ホームルームが終わるやいなや恒例の転入生への質問責めにヘトヘトになってる俺。
なにが珍しくてこんなに色々と訊こうと言うのだろうか。
同じ人類で他人と変わったところなんて何一つ無い筈の俺なのにこんだけ色々尋ねられていると、実は自分は気がついてないだけの人間とは程遠い存在で、夜な夜な通りすがりの人の首筋に無意識のうちに噛み付いて血を啜ってたりしているのではないかとか、満月の晩には変身しているのではないか、などという事を疑ってしまう(まぁ、まずあり得ないが。)
それとも何だ、転入したての俺を闇討ちで洗礼するために俺の周辺情報を聞きあさってるとかなのだろうか?

「親の職業は何?」
知らねえよ、モルドバに部下を派遣するような職業なんて。
「一人暮らしってマジ?」
ま、まぁ母親も親父について行っちゃったしな、俺一人だけど。
「すごいねすごいね。じゃあじゃあ家事も一人でこなしてるって事は、料理とか出来るの?」
人並みには出来る……と思う…けど…そんなにスゴい事じゃないよ。
「自制した生活って、大変じゃない?ついつい終日ゲームしちゃってたりとか。」
まぁ、ゲームはやるけど、そんな事は取りあえず今のところはないかな。何分、一人暮らし歴はまだ短いし。
「ゲーム、するのか…じゃあ好きなギャルゲーは何??」
知るかい、ヴォケっ!!

ってな感じのやり取りを、先程BL疑惑を受けた和彦は拗ねた顔をしながら前の席に座って、俺に背中を向けて黙って聞いていた。
のだが、
「って言うかさ――」
和彦がため息をつきながら話の輪に入ってくる。
「ん、どうした、和彦?」
皆の視線は一斉に和彦の方へ向いた。
俺はゴクリと唾を飲んで和彦の言葉を待つ。
久しぶりにコイツと話すんだ。やはり色々と言いたい事もあるのだろう。
長い間、コイツはこっちでどんな生活をしていたのだろうかなど、俺も訊きたい事は沢山あるしな。
和彦は暫く俺を見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「何で……何で、お前は男なんだよ。」
「はぁッ!?」「へッ!?」「なぁッ!?」「何だと!?」
一同同時に素っ頓狂な声の合唱。
い、いきなり何を言い出すのかね、この子は!
「だって、そーだろ?」
和彦は体をこっちへ向けて椅子に跨って座る。
「『幼なじみだけどある日離れ離れになっちゃって、数年後久しぶりに再会しました。』…話だけ聞くと素晴らしいフラグがたってるよう思えるのに、肝心の相手が男ですよ!?男。フツーそこで来るのは美少女でしょ!!なのに何でお前は男に生まれて来やがったんだよ、ちきしょー!!」
はぁ、
コイツに一瞬でも期待した俺が馬鹿だった。ほんとに昔から変わってない。
『フツー』の感覚が一般人とは少々ずれているんだよな。
全くもう、付き合いきれん。
俺は和彦から視線を外し、何気なく廊下の方を見てみると、
「……。」
教室の後ろの入り口からこちらを鋭い視線で穴が開くほど睨みつけている人物が約一名。誰であるかは敢えて言う必要もないだろう。
目が合うと顎で何やら合図を送ってきた。
なに、『表に出ろ!』だと?
嫌だ…が、
無視すると後が怖い。
……行くか。
「すまん、俺トイレ行ってくるわ。」
そう言って立ち上がり、人の輪を抜け出す。
「……後五分で本鈴がなるからそれまでには戻ってこいよ…」
背後からは和彦のまだ不機嫌そうな声が聞こえてくる。
俺は了解、と短い返事を残して教室を後にした。




「…何であんたが此処にいるのよ。」
夏樹についていって何だかよく分からない、人気のないところにつくやいなや第一声がこれ。
俺は最終確認の為に彼女に尋ねる。
「もしかしてお前、本当にうちの隣の部屋の天ヶ瀬さんなのか?同姓同名とか、双子とかじゃなくて」
「…何の冗談?笑えないんだけど」
彼女はあからさまにため息ついて俺を苦々しげに見る。
「いや、だって余りにも…ギャップが」
「だから何?『あたしはあなた、槙島悠太の部屋のお隣りの住人、天ヶ瀬夏樹です。学校ではお嬢様を装ってますが実は家では怠惰な生活を送っているだらしない奴です』……これで満足?」
「い、いや、そういう事言ってるんじゃなくて…」(でも、自覚あるんだ…)
「そんな事はどうでもいいのッ!」
『ビシッ』、っと効果音付きで夏樹は俺を指差す。
「何であんたがこの、江ノ崎高校にいるのかって訊いてんのよッ!!」
鬼気迫る形相とはまさにこの事。エラい勢いで俺を圧倒する。
俺も『いちゃ悪ぃかよッ!!』とか言って対等に張り合えれば良いのだが、残念ながらそんな肝っ玉は持ち合わせておらず、俺はしどろもどろになりながらも何とか答えた。
「ま、まあそりゃおんなじマンションに引っ越して来たら学校がおんなじになるのは当然じゃないかな…なんて。」
体中が汗だくなのは…きっと残暑が厳しいからだろう、うん、きっとそうだろう。
と言うか、何故俺が責められなければならないのだろう。こちらからしても『何で編入先にお前がいるんだッ!?』と叫びたい位なのだ。
まぁもっとも、後が恐ろしいからそんな事は実行に移そうとも思わないが。
俺だって17歳のちっぽけな若輩者だがこの命は惜しいのだ。
「とにかぁくッ!!」
「ッ!?」
「此処ではお嬢様として通ってるあたしの素顔を誰かに知らせようものなら…」
ズドッ!…ミシミシッ!
廊下の壁に右の拳で正拳突き。壁がモロモロっと崩れるのは……きっと校舎の老化のせいだろう、うん、きっとそうだろう…
「分かってるわね。」
は、はひー。よく分かりまひた。思わず声が裏返ってしまう。
恐ろしい。恐ろし過ぎるぞ、コイツ。
だ、だから、も、もう戻っても、いいで御座いませうか?
「駄目よ、まだ――」
きーん、こーん、かーん、こーん。
ピリピリとした二人の間の空気も読まずに、間延びした腑抜けた様なチャイムが校舎に響き渡る。本鈴、だろうか。夏樹がちっ、と舌打ちをした。
そして――
「あら本鈴が。急がないと先生が来ちゃいますよ、槙島くん」
猫かぶりモードでにっこりと、俺にそう告げたのだった。
まるで二重人格者みたいだな、おい。
まぁ、確かに早く戻らないとマズい。
夏樹は既に戻ろうとしていたので俺もその後に続く。
少し歩いて、また夏樹が口を開いた。
「そうそう――」
「な、なんだ、今度は…?」
思わず警戒態勢。
「放課後、話の続きがあるから校舎裏に来なさいよね。もし逃げたら――」
拳構えて。撃ち方用意。
「あー、待て待て!皆まで言わなくていいから!だから校舎を破壊するのはやめろ!ちゃんと行くからッ!」
「ふんッ!どうだか」
そう言うと、夏樹は俺を置いて足早に去っていった。
俺も走って戻りたいところだが、彼女と同じタイミングで戻って皆に何やかんやあらぬ噂をたてられるのは御免だ。
仕方がないけど俺はゆっくり戻る事にする。
まっ、校舎で迷子になったとか、初日は何とでも言い訳はたつだろうしな。


で、
始業式が終わって放課後、和彦の「久しぶりに一緒にゲーセン行こうぜ」と言う誘いを断り校舎裏に赴いた俺がどんな目に遭わされたのかはプロローグで述べた通り。


「――それで、だ」
「何よ、まだ何かあるの?」
面倒臭そうな顔で俺を見る夏樹。
九月の午後の屋外は日陰の校舎裏といえどもまだかなり暑い。出来れば俺も早く退散したいのだが、これを聞かずして俺は呑気に帰る事が出来ようか。
「『何かあるの?』じゃねえよ。『協力』の具体的内容を俺はまだ聞いてないぞ」
そうなのだ。俺は『協力しなさい』としか言われてないのだから、何に『協力』したらいいのかまるで分かっていない。と言うか、先程の揺さぶりの中で尋ねたのに夏樹答えてくれなかったのだ。
「一体何すればいいのかも分からずに『協力』だなんてしたくても出来ねぇだろ」
夏樹はため息をつきながら口を開いた。
「ピーチクパーチク五月蝿いわね。何?『協力』の内容?わたしの『秘密厳守』と『生活援助』よ……これで満足?ったく、そのくらい自分で考えなさいよね」
「は?」思わず間抜けな声が出る。と言うかコイツ、『これで満足?』ってセリフ好きだな。
『秘密厳守』とはコイツの怠惰な生活を社会的に黙っていろ、と言う事だろうが、『生活援助』って何だ?経済的な援助なら俺には余裕はそれほどないし……まさか奴隷としてタダ働きで家事をしろ、とかなのか!?
恐る恐る訊いてみる。
「前者は分かったけど……後者って?」
「言葉の通りよ」
彼女はきっぱりと言う。
「下僕らしく、あたしの怠惰な生活の更生を手伝うのよ。洗濯なら洗濯の手伝い、掃除なら掃除の手伝いをするの」
「へ?手伝い?」
「そうよ……何か文句あるの?もっとも、それを聞いたところで再考を取り計らう余地なんかミジンコの欠片程も無いんだけどね」
違うのだ。決して文句があるわけではない(…まぁ、全く無いと言えば嘘になるが。)
てっきり、掃除洗濯三度の食事全部の家事を押し付けられると思っていたのに単に『手伝い』をしろ、とだけ言われて戸惑っているのである。
「ほ、本当に手伝うだけで良いのか?」
念の為再度確認してみる。
「何度も同じ事言わせるな、めんどくさい奴」
はぁ、
下僕の次は『めんどくさい奴』呼ばわりですか、ああそうですか。
まっ今更、別に気にしないけどね。
「でも、何で俺なんだ?他にも替わりぐらい――」
「いないわ」
彼女は即答する。
「あたしのこの二面性を知ってるのは今んところあんただけよ。そんなあんたをこのまま放置しておくのは危険過ぎるし、近くに置いとかないとあたしの気が済まないの。これ以上知られた人が増えたらあたしは――」
急に彼女の声のトーンが落ちる。
「…どうなるんだ?」
「……やっぱり、何でもない」
そう言って彼女は俯いた。
彼女の表情は髪に隠れてよく見えないが微かに暗い影が差していた。
俺たちの間にはまた暫くの沈黙が生まれる。
まぁ、彼女も彼女で色々抱えている事があるのだろう。そういうのに俺は敢えてズカズカと踏み込んでいったりする気はない。
だって、たとえそれが親切心から来るものであっても、当事者からしたらただ単に鬱陶しいだけなのだ。
先程まであんなにぎゃあぎゃあ言ってた夏樹だが、今は不気味なぐらいに静かである。
代わりに耳に届いてくるのは相変わらずけたたましく鳴く蝉の声。
太陽が入道雲に遮られ、辺りも仄かに暗くなる。
俺は沈黙に耐えきれなくなって話を切り出した。
「じゃあ……帰るか?」
「……うん…そうする」
珍しく素直な声で頷くと彼女は顔を上げた。
「んじゃ、取りあえずあんたは昇降口で待ってなさい。あたしがあんたとあたしの鞄を取ってくるから」
「あ、あぁ、頼む」
「ちゃんと待ってるのよ、いい?契約も終わった事だし、主君の命令は絶対なんだからね」
彼女は先程とは打って変わったように明るく振る舞っている。つい先刻まで彼女の表情に差していた暗い影はどこかに消えてしまったようだった。
それにしても俺の鞄も取ってきてくれるのか?やっぱりコイツ案外いい奴なのかもと思い、ありがとうと取りあえず礼を言っておく。
「か、勘違いしないでよね。まだ慣れないあんたに任せたら校舎で迷子になるかもしれないから、だからあたしが取りに行くのよ。」
そう言うと彼女はズカズカと歩いていった。

、思ったらくるりと引き返してこちらに戻ってくる。
「言い忘れてたけど――」
「ん?」
「食事だけは全面的にあんたの担当だからね」

この時の俺はまだこの言葉の本当の意味を知らない――
今回はここまで。4章をお楽しみに。
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